2011/01/10
探しものは何ですか? 見つけにくいものですか?
まさに井上陽水の歌詞が私の人生を映しているかのようでした。 45歳になったとき、23年間勤めていた会社(富士ゼロックス)を辞め、ライブハウスを始めました。きっかけはお茶の水の楽器屋で見かけたあこがれの一本のギターでした。このギターは1965年に、アメリカのベンチャーズが日本公演した時に使っていたものと同じタイプで、発売当時は30万円以上(車が一台買えるほど)もする高嶺の花でした。
思い起こすとWEGに入会したのは、クラシックギターが好きで入ったのではなく、美しい先輩の勧誘とマージャンのメンツが揃うという安易なもので、そのことが今の自分の人生に大きな意義を持つとは、思いもよりませんでした。ロックギターが好きな私はクラシック中心のクラブでは、異端児的な存在でありました。反面、部費を稼ぐためのダンパではエレキバンドメンバーとして大いに貢献したものです。そして、神聖なクラシックギタークラブに不謹慎なエレキを持ち込んだのは、私です。(当時ビートルズに代表されたように“エレキは不良の代名詞”であり、定期演奏会でエレキを使用したことは諸先輩方のヒンシュクを買いました)
さて、あこがれのギターを手にした私は、早速バンドメンバーを募集し勤務地の関係から赤坂ベンチャーズというバンドを結成し、原宿ホコテンを始め千葉そごうビアガーデンなど、ありとあらゆる所でライブを行いました。千葉県佐倉の視覚障害者施設「愛光」での秋祭り、北区十条の障害者スポーツセンターでのX‘masパーティ、阪神大震災の慰問ライブ、上海での自主公演など年50回以上のライブ活動を続けました。NHK朝のニュースで中年のおじさんたちが(7期の坪井、戸田、直木)余暇を利用してエレキバンドを楽しんでいる風景が紹介されたのもこの頃です。
こうして、バンド活動を通じさまざまな場面やいろいろな人と出会っているうちに、このまま定年まで無難に過ごすよりは、与えられた時間を自分のために最大限有効に使っていきたいという気持ちに変わっていったのです。とりあえず、会社を辞めて次に何をすべきかという命題に、私は好きで好きで徹夜も厭わないような仕事はないかと模索しました。 会社で培った経験・人脈を活かしインターネット/コンピューターによるIT関連のビジネスなど、ありとあらゆる仕事を考えました。
考えあぐねた結果、作曲したり、演奏したり、唄ったりすることで、ある程度の生計を立てられたら最高だと思うようになりました。
時代はバブルがはじけ景気後退の時期でもあり、個人的には長男が生まれたばかりで、安定収入の道をあえて捨てるには家族の同意と勇気が要りました。
素人が始めるには、当たり前のことではうまく行くわけがありませんでした。当初は2店舗同時にオープンするなど冒険心いっぱいでスタートしましたが、1年半で挫折し1店舗に集約し再起を図りました。
ベンチャーズ専門店というニッチな分野からの旅立ちでしたが、今日に至るまでには、たくさんの壁にぶち当たりました。
リーマンショック以来、時代はどんどん底の見えない不景気に陥り、多くの同業ライブハウスが潰れていき、不安やあせりが漂う中でもめげずに続けてきました。
今では、こういう店がなくなっては困るというお客様や、友人、会社の先輩・後輩に支えられ13年にもなりました。店を継続する上でなによりも大事なことは、人とのコミュニケーションと店のコンセプトにあると思っています。好きな音楽を通じての人間関係は、利害を超えた人間味のあるものです。また店への思い入れが無ければいくら豪華に設えてもあきられてしまいます。人は好きなことであれば、普段の10倍以上の能力を発揮できるそうです。
昨年は突然のガンの宣告で滅入ったこともありましたが、がんもどきだったのではないかと思うくらい何事も無かったように今年還暦を迎えます。
振り返れば「親のすねかじりに23年」、「サラリーマン生活23年」を経て早めのセカンドステージでしたが早13年も過ぎようとしていますが、人間は120歳まで生きるようプログラムされているようです。まだまだ夢の途中ではありますが、何事も願えば思いが適うように“花道”が開けていくと信じ、これからも飽くなき挑戦をしていきます。
60年を振り返ってみた今、“このアンサンブル・ギタールに入ったのが自分の歩んでいる軌道の出発点だった”とは、それこそ夢にも思いませんでした。
私の夢は、“Music & Gourmet Golf Country Club”という楽園の創造です。
バンドの相棒でもある坪井さんにはシングルゴルファーへの指南を受けておりますが、100歳になってもエージ・シュートを達成したいものです。
最後に、創設者の井上さん、会長の山内さん、6期/7期/8期の皆さん、ベース会(11期世話役の今田さん、他)を始めとして多くの先輩・後輩の皆様には今もなお、お世話になっております。この場をお借りしてお礼を申し上げます。
また、男のロマン実現に理解を示してくれている家族には特に深く感謝しています。
“現役ガンバレ !!”
“フレフレOB”
“WEG FOREVER !!”
創設100周年にも元気で参加できるよう、健康管理には十分留意いたします。
戸田健治(7期初代ベースチーフ)
東京都港区赤坂でライブハウス“エル・カミーノ”経営 B型
詳しくは“http://www.elcamino-japan.com/”のブログ等をご笑覧下さい。