2011/01/30
1964年(昭和39年)10月、井上発博さん(OB会名誉会長)を中心にして10余名が集まり、理工学部の同好会がスタートしました。
井上さんたちは、当初、結成間もない本部の早大ギタークラブに所属していました。
私も入学当初、本部のクラブにも在籍していた経験がありますが、理工学部の学生にとって、本部のクラブ活動と授業のカリキュラムとの摺り合わせは、結構大変です。
結局、理工学部だけのクラブを創部するということになりました。全員が1年生の同好会というスタートでした。
翌、1965年(昭和40年)3月、千葉・館山の武田荘で、初の合宿を行いました。 奇しくも、武田荘もまた開業したばかりの民宿で、アンサンブルギタールは初めて迎え入れた客だったのです。
これを縁に、以後繰り返し合宿を行うことになり、また、武田荘のおばさんもよく演奏会に足を運んでいただいたり、プログラムへの広告も援助していただいたり、長い交流が続くことになったのです。
1965年(昭和40年)4月、2期生として20余名が入りました。
ある程度の人数が揃ったので、クラブとしての活動を行うことになりました。 当時は、顧問の先生が必要でしたので、井上さんの独語クラスの担任であった堀越知己先生にお願いし、快く引き受けていただきました。
こうして、早稲田大学アンサンブル・ギタールがクラブとして正式に誕生したのです。
誕生したとはいっても、当初は部室もなく、教室を練習に使うこともできませんでした。練習は近所の幼稚園の教室を借りていました。
大学生が、幼稚園児の小さな椅子に腰掛けている姿を想像してみてください。
さらに、この年は、授業料の値上げ問題で全学部がストライキに突入し、「早稲田150日闘争」と呼ばれた紛争に揺れた1年でした。日本大学に始まった授業料の値上げ反対の学園闘争が全国に吹き荒れていました。
秋、1年生と2年生だけで演奏会を開こうという機運もありましたが、最終的には見送られ、第1回演奏会は翌年に持ち越されることになりました。
第1回定演、そして、あの加藤登紀子さんが出演!?・・・≫つづく