2011年10月23日、第1回OBOG演奏会が行われました。
長年にわたって懸案となっていた演奏会です。
OBで演奏会を開こうよ、という声は随分前から、何度も繰り返して出されていました。
最初に声が上がったのは、創立10周年記念パーティの時でした。35年前になります。
当時は、「不協和音」を発行し、OB会組織がよちよち歩きを始めたばかりの時でした。
急カーブの高度成長期真っ只中とはいえ、赤坂にあったヒルトン・ホテルで開いた記念パーティは会費が1万円でした。
この会費にもかかわらず100名余の参加者を得て、「不協和音」発行経費の赤字とパーティ経費を何とかまかない、正直なところ、その上にOB演奏会を開く心の余裕はありませんでした。
そのようなことを思い出しながら、演奏会を迎えました。
中目黒の駅を降りて改札口を右に折れ、中目黒GTプラザの階段上まで来ると、下の広場にはギターを携えた大勢のOBが見えました。 演奏会当日だ、と実感しました。
演奏会の興奮に当事者として身を委ねるのは、実に40年ぶりのことです。
OBOG演奏会を開くにあたり、どうしても1期生、2期生、3期生には出て貰おうと決めていました。(残念ながら3期生は欠けてしまいましたが) 早稲田大学アンサンブルギタールの第1回演奏会に出て、アンサンブルの歴史の扉を開いた方々でしたから、この演奏会の第1回にも何としても出て貰いたかったのです。
昨年の創立45周年記念パーティの席で、44期浦川君がOBOG演奏会の件を話題に乗せてくれました。
期せずして、1期生、2期生の間で、演奏会をやろう、という声が上がり、合宿をやろうという話までまとまりました。
合宿は、夏、館山の武田荘で実行されました。大まかな選曲もそのときに決まりました。私(山内)は、当初、演奏メンバーに入ることは考えてもいませんでした。
理由は簡単明瞭です。約40年の間、ギターにさわっていなかったからです。
再三、勘弁してください、と申したのですが、とうとう引きずり込まれることになってしまいました。先輩は怖いのです。8月のことでした。
久しぶりにギターと向き合ってみて、まずは愕然としました。
左手は3弦を押さえているのに、右手は4弦を弾いている。そこまで退化していたのです。
そして、柔らかくなった左手の指は10分も弾くと、音を上げていました。「オト」を出さずに「ネ」を上げたのです。
覚悟を決め、弦を替えました。(間に合うかしらん?)
団地住まいの身ですので、会社を終えて帰宅してからでは騒音を出すわけにはいきません。騒音そのものの段階でもありますし・・・。
ギターを会社に持って行き、練習したから帰宅するという日々が始まりました。
幸いなことに、仲間でやっている小さな会社ですので、自由度があります。
月曜日に、満員電車の中、ギターを抱えて会社に持って行き、金曜の夜には周りから見ると異質の存在だなあ、と思いながら家に持って帰りました。土日の練習のためです。
私がアンサンブルに入部した頃は、「学生時代からの贈り物」にも書きましたが、部室がありませんでした。練習日には、皆、ギターを抱えて電車に乗り、また抱えて持って帰っていました。
久しぶりにフィードバック。かえって良かったかもしれません。練習する気になりましたから。
何とか間に合ったようです。最後の練習の時は、3-4時間続けても平気になっていました。
合奏練習は無条件に楽しいものでした。
先輩がいて、後輩がいる。西山君は一番下なので後輩がいないのは、ちょっと申し訳なかったのですが。
合奏は、アンサンブルギタールの根幹にあるものでしょう。各パートが合わせる。各期が呼吸を合わせる。一つのことに向かって力を合わせる。
やはり久しぶりにギターに復帰した先輩が、しみじみと漏らしていました。
(学生時代に)ギターをやっていて良かった。入っていたクラブがアンサンブルギタールで良かった。
また、ある先輩は、練習後の一杯を傾けながら、至福の時だ!と、本当に幸せそうな表情を見せていました。
これは、1期-5期の、演奏会前の一断面ですが、他のOB合奏メンバーの間でも似たようなことが見られていたことと思います。
OBOG演奏会を開く、大きな目標の一つでした。
さて、演奏会当日。
還暦越えのメンバー。面の皮だけは過ごしてきた年の数とともに厚くなっているはずなのに、新入生のように浮き足立っていました。
それでも、演奏が終わると、まず口数から回復していきました。
演奏が終わって、演奏者から一観客に戻り、後輩の演奏が始まると、そのレベルの高さに目を見張っていました。
ことに、36期林信太郎君の演奏に驚いた1期-5期OBが多くいました。
二次会でその話が出たとき、私はうれしくなりました。
林君の演奏をじっくり聞かせる場を、と願っていたからです。というのも、45周年記念パーティで林君の演奏は喧噪にかき乱され、また、DVDでも音がほとんど拾えていなかったので、申し訳なく思っていました。
この思いが強すぎたのか、演奏会冒頭の挨拶では、「卒業後もギターを続けているOBに発表の場を」と、演奏会開催の趣旨をこれだけであるかのように言ってしまい、11期今田君からは、二次会でも猛抗議を受けました。
アンサンブルの根幹を置き去りにしたわけではありません。
何よりも、OBOGの世代を超えた交流が第一義の目的です。また、1期-5期の練習でふれたように、久しぶりでギターに戻る感慨、先輩後輩との交流、これらをもたらす触媒として演奏会が機能することこそが、開催目的です。
第1回ということで、1期-5期及び40期-45期のように、今回は前後5期ほどのまとまりが限界だったかもしれませんが、企画を進めてくれた41期齋藤君が述べてくれたように、45年以上の歴史を持ったOBOG会ですから、もっと幅広い年齢間での合奏が出来るはずです。
第2回以降は、様々な重奏、合奏を企画していただきたいと思います。
一方で、定期演奏会の場では発表の機会のない独奏も、必須であると考えています。
研鑽を続けているOBのレベルの高さは、OBOG会として誇っていいと思います。
OBOG演奏会を開く。その演奏会を、研鑽を続けているOBの発表の場として活用してもらう。これも、目的の一つでした。
出演したメンバーです。
上は67歳の1期生から22歳の45期生まで。素晴らしいではありませんか。
来年は第2回を開きます。
今回、出演されなかったOBOGも、是非参加してください。
しばらくギターから遠ざかっている方も、もう一度復活してみてください。
しばらく離れているからこそ、離れていた人しか味わえない、「美味」があります!
最後に、OBOG会の活動に、是非参加してください。
OBOG会事務局では、皆さんの参加を待っています。
参加して、第3回、第4回とOBOG演奏会を重ね、これからの歴史をともに作っていきましょう。